26年前私はいきなりにお母さんに「1年日本で留学する」と話した。 明日は我が長男が1年ドイツに出発する。 その26年間のスペースに描かれる画は賑やか。1年の留学は人生の26年。自分の居場、自分の家庭、自分の職場作り上げた26年。 長いはずの26年だけども、私は日本に立つ日を昨日のように覚えている。 家族からはだれも見送り行けない、寂しい朝でした。 不安一杯、飛行場についたら、家族や友達が背揃い。まだドイツなのに、涙!!! こんな、自分の26年前を昨日のように思い出せるのに、明日は我が子が出発してしまう。不思議すぎる。想像できなすぎる。 でも、私には何も言えません。 「寂しい」も、「しっかりして」 私は日本に来た頃は一回の電話(15分)が5000円ぐらいでした。 パソコン、SNSは007の世界のもので、手紙書いて、返事がくるのを待つ〜一交流あたり2-3週間。 そのころの家族と交換した手紙も私は書いた手紙の映しも全部屋根裏部屋に眠っています。恥ずかしすぎて読み直したくないけど、長男が立てばお母さんの手紙だけでも読み直したいね。 当時は長崎での火山が噴火していたり、いろんなことがあったが、お母さんが心配する耽美「もういいよ。心配するな!」とうとしそうに話しを終わらせただけ。 ごめんなMama. 息子は私は知らない土地ではなくて、良く知っている母国に行く、さらにそこでは一人暮らしではなくて、お父さんのアパートで暮らす。 私ら親は息子に「お前こんな環境どんだけラッキーか知っているか?」と言いたい時はあるんだが、本当は違うだよね: 本当に「ラッキ」のは私達親だよね。 子供は大人になったとしても安心して世界に送り出せるのは本当に幸せなこと。感謝。 少し泣きたいかもしれないだがその涙は感謝を加えておこう。 ありがとうよ。
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マギー先生滋賀県「湖族の里」と呼ばれている地域にたどり着いたドイツ人です。 カテゴリ
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12月 2024
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