だいたい20年前に初めて名刺を作った。名前の下になにを書こうかと迷った時、旦那が「日独の架け橋」と提案してくれて、自分のアカデミーを立ち上げるまでにはこれを使いました。
確かに、当時には今以上時代を超える、国境を超える活動していました。 ↓BTW, this is me!
確かに、当時には今以上時代を超える、国境を超える活動していました。 ↓BTW, this is me!
ドイツのケルンに日本舞踊と能の先生を招待する企画を立てて、ワークショップや舞台を実現させたのは来日してから1年半も立たないところでした。22歳でした。今思うと頑張ったな。
怖いもの知らず、「すごい」ということも知らないままいろんなことに関わっていたな。
怖いもの知らず、「すごい」ということも知らないままいろんなことに関わっていたな。
日本とドイツの血が流れている子供に恵まれて、私自信は「架け橋」になることは不要と感じたかもしれない。確かに我が家の中は毎日「架け橋」でした。
ところが、架け橋の一個の柱になる旦那はドイツに転勤となりました。
私の故郷がある州で、実家から1時間ちょっとのところで、
ドイツ人である私は日本。
日本人である旦那はドイツ。
テレビが興味を持てそうな話しですね。(^_-)-☆
受け取り方はいろいろだと思いますが、私らはこれを機会に「単身赴任」ではなくて「二重生活」"Doppelheim"として考えて行きたいと思っています。
私としては年に2,3回ドイツに帰り、新たな目でいろんなことを体験して、調査して、なるべく客観的な目で見たドイツを日本に伝えたいと同時に、ドイツに美しい日本の文化や風習、日本の食べ物と言語を紹介したいです。
3,4年の間になりますが、どんな仕事ができるか自分でも楽しみにしています。
というわけで;本日より:
ところが、架け橋の一個の柱になる旦那はドイツに転勤となりました。
私の故郷がある州で、実家から1時間ちょっとのところで、
ドイツ人である私は日本。
日本人である旦那はドイツ。
テレビが興味を持てそうな話しですね。(^_-)-☆
受け取り方はいろいろだと思いますが、私らはこれを機会に「単身赴任」ではなくて「二重生活」"Doppelheim"として考えて行きたいと思っています。
私としては年に2,3回ドイツに帰り、新たな目でいろんなことを体験して、調査して、なるべく客観的な目で見たドイツを日本に伝えたいと同時に、ドイツに美しい日本の文化や風習、日本の食べ物と言語を紹介したいです。
3,4年の間になりますが、どんな仕事ができるか自分でも楽しみにしています。
というわけで;本日より: