フランス教育デモが考えさせてくれる
フランスの大規模教育デモから考える、日本社会のスマートな知恵と優先順位の付け方
【日仏教育比較】なぜフランスの学校は荒れ、
日本の学校は「シンプル」でも成り立つのか?
今ニュースになっているフランスデモがエスカレートして、色々考えさせられます。
近年、フランスでは教育環境の悪化や物価高騰に対する大規模な抗議デモや暴動が激化しています。「天井が落ちてくる」「教師が足りない」「クラスが過密すぎる」といった悲痛な叫びが上がっており、教育現場はまさに危機的状況にあります。
私は日本で20年以上、教育の現場に身を置いてきました。このニュースを見るたびに、欧米の視点(あるいはデータ偏重の統計)がいかに日本の教育の本質を見誤っているかを感じずにはいられません。
欧米のメディアは、日本の学校の質素な校舎を見て「予算不足」と哀れんだり、教師の労働時間を「自己犠牲」と解釈したりしがちです。しかし、本当にそうでしょうか?
日本の学校がミニマル(最小限)でありながらも、高い水準で安定して機能しているのには、西洋とは根本的に異なる「社会の仕組み」と「マインドセット」があるからだと思っています。
私の体験:40年前のドイツの学校は「大贅沢」だった
ここで少し、私個人の話をさせてください。
私は40年前、ドイツの公立学校に通っていました。今振り返ると、当時のドイツの学校は、現在の日本の学校と比べても「途方もない贅沢(純然たるラグジュアリー)」でした。立派な施設、充実した設備、至れり尽くせりの環境。それが当時の西欧の「当たり前」だったのです。
特に体育館、スポーツの設備、体育の授業の後、当たり前のようにシャワーを浴びる環境!
しかし、色々考えてしまいます。
「欧米の社会は、物質的に恵まれすぎて、少し甘やかされ(贅沢に慣れ)てしまったのではないか」と。
物質的な豊かさは、必ずしも子供たちの学力や、現場の幸福度、社会の安定には直結しません。むしろ、過剰な豊かさは「国がやってくれて当たり前」という過度な要求を生み出す原因にもなります。
では、なぜ日本は「贅沢」がなくても、これほど安定しているのでしょうか? 理由はいくつか考えられます:
1. 「国頼み」ではない、高い自己責任論と家計の優先順位
ヨーロッパ(特にドイツ)では、児童手当や年金、教育費など、ゆりかごから墓場まで国が面倒を見るのが当然という空気が強いです。そのため、国が期待に応えられないと、すぐに不満が爆発しデモに発展します。
例:ドイツの子供の手当は月々、一人当たり259ユーロ(現在45000円)、こちらは最低18歳まで、職についていなければ25歳まで支払われます。
一方で日本は、あらゆる世代において「経済的な自立(自己責任)」の意識が根底にあります。
日本の家庭は、毎年の贅沢な旅行や家のリフォームにお金を使うのではなく、何よりも優先して「子供の教育」に投資します。保護者自らが応分の負担を受け入れるため、地方自治体は余計な贅沢に予算を割く必要がなく、真に必要な部分(人員や健康的なインフラ)に集中できるのです。
「今の若い親は価値観が変わったのではないか」と言われることもありますが、私はそう思いません。私が日々接している20代後半から30代半ばの若い保護者たちも、根底にあるこのマインドセットは全く変わっていない気がします。彼らもまた、子供の教育や成長を最優先に考えて日々をやりくりしています。
2. 贅沢はいらない。「本質」に絞ったインフラ
日本の公立学校には、フランスのような「崩落しかけた校舎」のような極端な劣悪さは基本的にありません。かといって、豪華な設備があるわけでもありません。
日本の学校にあるのは、「人間が健康に、機能的に学ぶために必要な最小限のもの」です。シンプルですが、清潔で、壊れておらず、実用的。この「足るを知る」ミニマリズムが、システムを低コストで安定させています。
3. 学校は「詰め込みの場」ではなく「共同体(居場所)」
西洋では、学校を純粋な「教育サービスを提供する施設」と捉える傾向があります。だからこそ、サービスに不備があれば「ストライキ」という形で労働や登校を放棄します。
しかし、日本の学校の本質は「共同体(社会性を学ぶ場)」です。
極論を言えば、本当の意味での「勉強(受験勉強や暗記)」は、家で一人で机に向かうか、あるいは塾などで行うものです。
学校という場所は、勉強の前にまず「他者と協力すること」「集団生活のルール」「健康な身体づくり」を学ぶ生活の拠点なのです。だからこそ、生徒も教師も学校を単なる「サービス」として消費せず、自分たちの居場所として大切に維持しようとします。
おわりに:視点を変えれば見えてくるもの
フランスの暴動は、「国がすべてを解決すべきだ」という依存の裏返しとも言えます。一方で、日本の学校がこれほど静かに、かつ確実に機能しているのは、誰かが無理をして「犠牲」になっているからではありません。
それは、家庭が教育に責任を持ち、学校を大切な共同体として守り、無駄を省いて本質に集中するという、日本社会のスマートな知恵と優先順位の付け方があるからなのです。
40年前のドイツの豊かな学校を知る私ですが、
今の日本の「シンプルだけどブレない強さ」に、教育の本当の豊かさを感じています。
皆さんは、この日仏(あるいは欧米と日本)の教育アプローチの違いについて、どう思われますか?