日本に来ている外国人とお話できるように、英語を習ってほしいと答えたかた 結論から言うと、 教科書に沿った授業で行うようなレッスン、または高い教材費で、家で自力に学ぶシステムのメソードはNGだと思います。 確かに、漢字を読めない外国観光客にとって、日本は毎日「宝探し・なぞなぞ」みたいなもんだと思います。 私は来日した1992年と比べては英語の案内も多くなっていますが、まだまだ不安定ですね。 日本人のほとんどの人はおもてなす心がめっちゃくちゃ大きなのに、困った外国人に最低限の手助けできないのは残念ですね。 大阪駅でのエピソード先月大阪駅でのエピソードを話します: 電車降りて、駅を出るとそこに「運賃調整」の機械の前ラテン系のカップルが困っていました。一生懸命日本の大学生ぐらいの年齢の女の子と話していました。 英語で「京都に行くのにどの切符を買えばいいの?」 と知りたかった。 日本の女性はカタコトで助けにならなかったので、そのカップルがいろんな情報と話をし続けて、どうにかこの子に彼らが困っていることを伝えようとした。 私は5年ぶりの大阪で、実際に自分も大阪駅めっちゃ緊張するから、しばらくは様子を見て、状況をしっかり把握してからしか入りたくなかったが、二組ともとっても困っていたようですので、 'Can I help somehow'と聞きました。 聞いてすぐに日本の学生は「は良かった」と言って、すぐに数歩私らから離れて、どこかに行こうとした。 (そんな簡単に投げ出すなよな!)と思ったのと、私より電車の乗り方わかっているに違いないので、彼女をまず止めた。 切符販売機じゃなくて運賃調整機問題解決は簡単でした: カップルは姫路で切符を買ったがそれは大阪までだけの切符だった。「やばい」と思って、電車から降りて、「切符販売機」に見える機械で京都への切符を買おうとしたんですが、何をどうすれば、いくらかかるのかなど分からなかった。 日本の女性は「京都に行きたいのに、大阪の運賃調整機でなにをしたいんだろ?」とさっぱり意味分からなかった。 ちなみに、私も最初「運賃調整機」だと気づかずでしたが、両側の話を聞いて、すぐに、「そのままで、この切符のままで京都まで行って、そこで降りたらまたこれと同じような機械があるから、そこで残りの運賃を払えばOK」と説明したんです。 でも、これは西洋にありえないシステム。運賃が足りない切符で電車を乗れば確実に50ユーロ以上を払わされます。 と、彼らも思った気がして、三回ぐらい、「え?どういうことですか?本当にこのままで乗っていいですか」と聞き返された。きっと私も日本人じゃないから、さらに「本当にわかっているのかな」と思われたかもしれないです。 困った人お助けできるように日本に来た外国人とコミュニケーション取れることは望ましいですね。 でもそれは言葉と文法だけではなくて、コミュニケーション能力、前向きに行動を取る精神が必要です。 それと少し「裏をよめる」力と知識も必要ですね。上の例ですと、「もしかすると彼らの出身国では電車の乗り方、切符の買い方全然違う」という考えが思い感でいれば対応が違うでしょう。 ですので、日本に来た外国人と英語で会話できるようになって欲しい方は コミュニケーション、応用、国際理解を大事にする教室を見つけてほしいです。
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サイレンセスターへ出発!娘と私は激しい風のなかで雨上がりのヒースロー空港で到着しました。そして、どうにかサイレンセスター行のバスに間に合った。完璧!あと一分遅れていたら、私達はけっこつまらない空港でまた1時間を待ったなければ行けなかった。 バスの運転手にチケットを見せて、確かにこのバスだとわかって、安心して乗った。2時間半後私はやっと20年ぶり友人のジュデイに合う!!! 彼女は私に初めての同僚。また日本のテキスタイル(糸むぎ、藍染、機織り、...わらじづくりも!)一緒に習った。 さらに長男の子守もしてくれた。会うのはとても楽しみ!!! 二時間走って、運転手が交代して、とてもヒューモアがある楽しいドライバーに変わった。「今日はおれが初めて運転するのよ。だからみんなしっかりとシートベルトをつけてね。」だと。「食べ物忘れたら食っちゃう」「i phone忘れたら俺のものだ」。 また目的地についてもさまざまな冗談を言っていた。 かれは言っている地名は私は聞いたことがない名前だったが、他の乗客もかれの冗談を気にしていないから、大丈夫でしょう。 ただし、一つおかしく感じたのはどんどん強くなっていく雨。 天気予報により、雨はコッツウォルズに到着するころにやんでいるはず。基本的に今日の雨は北に動くはず。 ですが、私達は確実に雨とともに動いていた、その雨はどんどん嫌な降り方担ってきた。 さて、冒険の始まりです!
少し意地悪ですがですが〜一体どうなった? 英語のブログを読めば答えはありますが、ぜひ、読んでみてください。なんでこんな意地悪か? 「英語がわからない人はこんな目にあったらとんでもなく大変だったよな」 と感じさせられた。なので頑張って勉強の材料だと思って今回は英語のブログを読んでみてほしいな。こちらをクリックするとブログに飛びます。 またか?!毎年同じ悩みです! バカンス中はパソコン開きたくない、帰ってきてからすぐにたくさんの記事を書くのに待ちきれない。 でも、すぐに日常に飛び込みすぎて、「もうどこから何を書こうかな」とわからなくなる。 この4週間で一番心落ち着かせてくれたところはエストニアの首都タリンでした。 主人と娘、三人でヘルシンキから船で行きました。 タリン〜美味しい北欧なので値段心配でしたが、非常に物価が安かったのは第一の安心。 次に心配:好き嫌い多い私は食べられるものあるのかな? でもこの心配もいらず、美味しいものばっかりでした。とくにワイナリーが多い街で、美味しい赤ワインは私にとってのご褒美です。ご褒美毎日いただきながらたっぷり充電してきました。 古町でアパートを借りて、三日間朝から晩まで何回も同じところ散歩しながら見物、〜それだけですがこういう「のんびり一か所の旅」は私は大好きです。 パガリとKGB歴史を学ぶのではなくて、歴史から学ぼうよ今のHongkongのことも考えながら見てきました。祈っています。香港、素敵な方しか出会ったことないです。本当にエールを贈りたいです。大好きです。
都会は熱くて、田舎の故郷に帰るのは今回は本当に楽しみでした。 はい!実は私は「すんごい」田舎ちゃんでした。 ご先祖様みんんんんんな小さな農家。(我が家で食べるものは我が家で作る感じ)我が家も私は生まれるまで半分農家だったらしい。 村が小さくて、離れた26年の間もあまり変わっていません。一つずつの家には一つずつの物語があって、その物語は村人みんなが知っている。ハッピーな物語もけっこグロテスクな物語も。すべてはすごく詰まっています。 時間の流れも遅くて、散歩以外にはすることもないので、普段は1泊で飽きるけれども、今回楽しみにしていたのは2つの理由: 1.ここは温度が夜の間だけでも20℃前後に下がる(はずだったんですが、結果として今年は25℃ぐらいまでしか涼しくならなかったんです) 2.甥の結婚式が兄の庭で準備される。私達の結婚式以来、家族で初めての結婚式なのでとてもわくわく。 お嫁さんと一緒に準備!このテーブルクロスとかベンチクロスすべて彼女は3日間かけてアイロンかけた。「働き者だな!」と感動しました。 もちろん夏休みの宿題(娘)と生徒から送ってきた宿題の確認(私)は綺麗な庭で! 夜にはこの地方に伝統的なライべクーヘンとりんご煮で お な か い っぱ い! この食べ物はすりおろしたポテートと玉ねぎを揚げた、ハッシュドポテトに少し似ています。日本人には朝ごはんのイメージが強いかもしれないですが、これは夜に食べます。りんご煮の他にはスモークサーモンとの食べ方もあります。 この故郷での兄の家は我が家の子供にとって第二の実家です。ここに来ると屋根にも登ぼれる、秘密基地も作れる、大きな部屋で次男は第一歩目を歩いた。 ここをクリックすると、編集できます。 ちなみに、兄がこのすばらい家で普段は民泊をやっています。限りない自然で限りないサービス精神で安すぎる民泊です。
日本語も意外と通じます。 せんでんするつもり全く無かったですが、ここまで書いてしまったからリンクも貼ります。 ROOMART LOVERS 猫カフェだけではなく、他にも完全にDüsseldorfの生活に慣れてきた旦那。 耐えられないような暑さで到着してすぐにフルプログラムで町の公園、ライン川、お店、スナック、案内してくれて隣町にも出て、追いつくのに必死な私... キリン乗っていこうかな?! 家事全般はもちろん、それにお料理も相変わらず上手にあるもので作って、私自身〜「暑い」やら「電気で料理するの不便」「このかたまり肉で何作ったらいいのかわからない」。。。言い訳ばかりで本当に情けない。頭さがります。 お父さんの昼休みには家族でデート!これがすご〜〜〜く幸せな時間。 日本の男性も時々昼休み奥さんや彼女を呼び出して45分だけでも切り替えって見てください。みんな幸せですよ! 当然です: ビールを飲むのは長男と私だけです。旦那は仕事中! で、すでにドイツのこといろいろと教えてもらった: 消防車はなぜ字が逆に書いてあるのかとか Düsseldorfでの「日本」についてとか... この町では完全に日本人として生きていける。美容室も病院も日本の食パンを作っている日本のパン屋さんも...
私はこの'Here' and 'There'の間の世界すごく快適です。普段ですといつも 「どちらか」とはっきりさせないといけない気がします。 「日本の...が好き」というのは「ドイツの...はきらい」「ドイツ人の...がいいよな」と発言すると裏に「日本人の...がよくない」などになってしまう。だから私は常に自分の気分を証明しないといけない気がしてて、常に2つのアイデンティティが戦っている気がする。 でも旦那とDüsseldorfにいるとそれは全部綺麗にまざります。日本人とドイツ語喋ったり、ドイツ人と日本語喋ったり、家族みんなで日本のスナックに行ったり、また家族みんなでラッフなビール工房に行ったり... こういう「混ざったドイツ」はとても好きになってきました。 もう一つとても嬉しかったのはたくさんの日本人は数年前になんとなくドイツに行って、そこですごく幸せになって、自営業やアート活動をしたり〜〜〜とても面白い人いっぱい出会って感謝です。 |
マギー先生滋賀県「湖族の里」と呼ばれている地域にたどり着いたドイツ人です。 カテゴリ
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9月 2024
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